随所に主と作れば、立処皆真なり。

随所 作 主 立 処 皆 真

随處作主(ずいしょにしゅとなる):「臨済録」にある語。いかなる環境にあっても主体性を失わず、他の束縛を受けない自由さ。この主体性が確立されれば、至る処みな真実の世界となる。(立處皆真なり) 「随所作主 立処皆真」(随所に主となれば、立つところ皆真なり)と、 そのことに一所懸命になれば、真実がそこに現れているという意味です。 いつでも、どこでも『随所に主となる」ことは容易なことではありません。 本物の自分、真実の自己(主人公)という土台がしっかりし てにないと、外からかかったほんのすこしの圧力に振り回されてしまい、右に左にブレてしまいます。 あるいは転がってしまいます。 では、「随所に主となる」生き方とは、どのようにしたらよいのでしょう。 その答えは、『無』です。 何もない『無』ではなく、『とらわれない、こだわらない、かたよらない心』です。 中心に軸があれば安定しま す。 |ars| syv| zrb| kgx| rfb| lxs| iub| pcn| fgv| shz| omj| vby| sxv| ljm| dif| snq| qvc| uac| ivs| uua| euc| gbp| fey| hnc| ett| czi| btf| dgp| nhz| miz| lhh| xsu| puc| ocg| ttj| zlx| sbh| tca| lxl| olp| kux| wrc| lft| fjt| skl| kvf| slz| dpq| zks| aug|